らぷらた音楽雑記帳54*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#054 100年の気骨:
オスバルド・プグリエーセの軌跡をCDで振り返る

2006.01.18

CD:EMI 94633 59972 "Edicion aniversario 1905-2005"Philips 988632 "El tango se llama, 988635 "La biandunga", 988636 "Tanguenado", 988637 "El gran Osvaldo Pugliese", 988638 "A mis amigos", 988639 "Soy bien porteno", 988643 "Sentimental y canyengue", 988648 "El maestro inedito" 他(バラ売りで、番号はオリジナル・アルバム発売順とは異なる)  


 2005年は現代タンゴの巨人オスバルド・プグリエーセが生まれて100週年、世を去って10周年にあたる。2005年生誕100年を迎えた有名人には福田赳夫、石川達三、志村喬、水谷八重子、サルトル、ディオール、グレタ・ガルボ、ヘンリー・フォンダなどがいる。この人たちは第一次世界大戦勃発の時 12歳、第二次世界大戦開始の時は34歳だったはずで、いわば戦間期に青春時代を送った世代といえるだろう。 アルゼンチンは二度の世界大戦ともにあまり縁がなかったが(二次大戦の末期にアメリカの圧力で形だけ参戦させられたが)、動揺する世界情勢はプグリエーセの思想にも少なからず影響したのかもしれない。ご存知の方も多いと思うが、プグリエーセは共産党員で、自己の楽団の給料制度にも楽団への貢献度を表す点数による完全分配制をとり、一時期は政治活動もさかんに行っていた。1950年代末には選挙活動で忙しくなり、本人が参加せずにレコーディングが行われたものすらあったし、早くからキューバ、中国で公演をおこなったのも共産党員であることと関係があるのだろう。1960年代以降はあまり表立った政治活動は行わなかったようだが、それでも軍事政権からはにらまれていたようだ。プグリエーセの音楽に反骨精神が感じられるのはそんな背景があるからかもしれない。 プグリエーセの原点にあるのは現代タンゴの祖と呼ばれるフリオ・デ・カロの音楽である。デ・カロはタンゴが生まれた場末の感情表現を高度な音楽表現と組み合わせ、その後のタンゴ発展の道筋を作った偉大な人物である。プグリエーセの初期の演奏には明らかにデ・カロの影響が感じられ、レパートリーにもデ・カロの作品や共通の曲目が多い。しかし1950年代に入るあたりから、「ジュンバ」と形容される独自のリズムの刻み方、バイオリンとバンドネオンを始めとするソロ・パートの多用といったプグリエーセ・スタイルの代表的特徴が強調されるようになり、編曲もより緻密なものへと変化していく。 時代によってメンバーの交代はあったが、常にメンバー間の絆は強く、1943年の楽団結成から最後までティピカ編成の楽団を維持したことは驚くべきことだといえる。プグリエーセ楽団の出身者にはホルヘ・カルダーラ、フリアン・プラサ、エミリオ・バルカルセ、ビクトル・ラバジェン、ダニエル・ビネリ、ロドルフォ・メデーロス、フアン・ホセ・モサリーニ、ロベルト・アルバレスなど現代のタンゴ・シーンに大きな影響を持つアーティストを多数輩出してきた。プグリエーセのもう一つの偉大な功績である。  さて、今回生誕100周年を記念して出されたのは、オデオンからCD4枚組、フィリップスからはオリジナル・アルバムの復刻8点と未発表曲を含む1枚である。オデオン盤は記念すべき1943年の初録音から1960年までの第1期オデオン時代と、1972年からの第2期の両方から 曲をセレクト、録音順に網羅している。実際の録音量の割合に比して器楽演奏をより多く含んでおり、一層プグリエーセ・スタイルの変遷がわかるような編集となって言える。 一方フィリップスの方はなぜか移籍後最初のアルバム「ラ・セナ・デル・タンゴ」だけが今回の発売分に見あたらないが(たぶん何らかの理由でこれだけ発売が遅れているのではないかと思う)、1回目の来日直前に発表された「ア・ミス・アミーゴス」、帰国後まとめられた「エル・タンゴ・セ・ジャマ」(プラサの名曲「ブエノスアイレス=東京」を収録)、メンバーがセステート・タンゴを結成し脱退した後の新編成による1枚目「ラ・ビアンドゥンガ」、2枚目「センティメンタル・イ・カンジェンゲ」が含まれている。今回初めて日の目を見た音源はアベル・コルドバ歌の「エナモラード・エストイ」「チェ・コレクティベーロ」(前者はシングル盤でだけ発売、後者はまったく未発表)と、プグリエーセと弦だけという編成による「エル・レコド」「悲しい街」など4曲。プグリエーセと弦だけの編成はトップ・バイオリンのマウリシオ・マルチェリの編曲によるものだが、他に例のないユニークなもので興味深い。 この2レーベルの全集を揃えれば、すべての時代のプグリエーセ楽団のスタイルの変遷が明らかになる。「コロール・タンゴ」「ベバ・プグリエーセ楽団」「オルケスタ・ティピカ・フェルナンデス・フィエロ」「オルケスタ・ティピカ・インペリアル」など今もプグリエーセの衣鉢を継ぐ楽団は数多い。集団芸術表現としてのタンゴの究極の形を作ったともいえるプグリエーセ。現在日本盤が1点もないとはあまりに情けないが、タンゴの歴史とともに永遠に聞き続けられるべき音楽だろう。

注):この記事は2005年12月に書かれたものですが、管理人タニィの都合により更新が2006年1月に遅れましたことをお詫びいたします。

文:西村秀人