2005.06.18
CD: Mon Musique QUIMERA 2005 ラ・キメラ・デル・タンゴ
「キメーラ」Quimera とは辞書によれば「頭はライオン、胴体はヤギ、尾は竜で、火を吐く怪獣」とある。ギリシャ神話に登場する怪物なのだそうだ。しかしその一方で「空想」「とてつもない考え」「(根拠のない)不安」といった意味もあり、タンゴの歌詞中に ilusion(幻想、夢)と同じような意味でよく登場する。実際、タンゴ歌詞のデータベース("Tango Lyrics Home Page")で検索してみると154曲が引っかかった。このデータベースには曲がついていない詩だけのものとか、バルス・ペルアーノやフォルクローレも若干含まれているので少し差し引いて考えなくてはならないが、決して少ないとはいえない数である。有名な曲では「ブエノスアイレスの喫茶店」(モーレス曲、ディセポロ詞)、「青い湖で」(ロベルト・ルフィーノ作)、「つばめたち」(ガルデル曲、レ・ペラ詞)、「あのお姫様のように」(ホアキン・モラ曲、ホセ・マリア・コントゥルシ詞)といった曲が含まれている。
人間の心の中に棲む怪物「キメーラ」をバンド名にすえた新グループのCDが発表された。アルゼンチン・ロック~ポップ界の中でも特にユニークな存在といえる2つのバンド、「メ・ダラス・ミル・イホス」のサンティアゴ・フェルナンデスとグスタボ・センマルティンの2名、「ペケーニャ・オルケスタ・レインシデンテス」(日本公開中のウルグアイ映画「ウィスキー」の音楽担当でもあるグループ)のロドリゴ・ゲーラという3人によるユニットである。
普段タンゴと無縁な音楽活動をしていた彼らだったわけだが、雑誌のインタビューでは、グループは "antropoguitarromorfologicamente"(ギター人類学形態学的)に結成されたと説明している。CDに収録されたレパートリーもガルデルの「想いの届く日」以外はメンバー3人の合作で、ユニークの詞のほとんどはロドリゴ・ゲーラが手がけている。タンゴをベースにしてはいるが、ワルツやミロンガはもちろん、マシーシ、ファドや「ルンバ・サンバ・タンゴ」などという形式名もある。中にはマンドリンやセルーチョ(音楽ノコギリ)などが参加する曲もあり、昔風でありながらオリジナルなサウンド作りを試みてもいる。
曲タイトルにもユーモラスなセンスがあらわれている。"El fado del fin de Edmundo"(エドムンドの最後のファド)は"fin de Edmundo" と"fin del mundo"(この世の終り)を引っ掛けているのだろうし、"Miguel voce"はかつてのメキシコのアイドル歌手 Miguel Boseのもじりであるのは明らか。歌詞内容にもユーモアあふれる部分が見受けられる。それは実は「数字の上では復興しつつある経済とちっともよくならない現実の生活のギャップ」という現在のブエノスアイレスの問題を皮肉めかして表現しているようにも思われる。
ギターと歌というタンゴの原点のサウンドに戻り、特に語彙などの面で歌詞の作り方にも伝統を尊重する姿勢がうかがえる。社会の底辺から生まれたタンゴが本質的に持つ批判精神のようなものを今の感性でより自由に扱ってみたというところか。また一つ、タンゴ畑でないアーティストがタンゴの良さを見直す過程で新しいものを生む、というパターンにあてはまるケースといえるかもしれない。
CDには書かれていないが、18曲目に「ホテル・カリフォルニア」のミロンガ・バージョンという不思議なおまけが収録されている。
なお、このCDはキング・インターナショナルによって帯付で国内配給されている(帯の解説以外、日本語の解説はなし)。
文:西村秀人