2004.08.10
CD: Barca Records=Bizarro Records SLC-624 "Milongas del querer / Jorge Nasser"
ブエノスアイレスとモンテビデオ。それぞれアルゼンチンとウルグアイの首都だが、行ったことのある人なら、その距離の近さは御存知だろう。その街並みも、人種構成も、かなり類似したものがある。しかしブエノスアイレスの一般音楽ファンがどのくらいウルグアイで活躍するアーティストのことを知っているかというと…はっきり言ってアルフレド・シタローサ、ハイメ・ロス、ルベン・ラダぐらいがせいぜい。ウルグアイ盤CDを置いている店も驚くほど少ない。まるで距離の近さに反比例するかのような状況である。だからモンテビデオを活動拠点にしたまま、ウルグアイのアーティストがブエノスアイレスで売れるのはとっても難しいのだ。
そんな中、8月7日のラ・ナシオン紙(インターネット版)にこんな記事が出た -「ウルグアイのホルヘ・ナセルが水たまりを渡った」-もちろん「水たまり」とはブエノスとモンテの間にあるラプラタ川。その距離があまりに近いことをわざと「水たまり」と表現したわけだ。あのホルヘ・ナセルがソロCDを発表して、ブエノスアイレスでコンサートを行う、という話題だ。 現在42歳(にしては若く見える)ホルヘ・ナセルはウルグアイ・ロック史に大きな業績を残し、アルゼンチンでもかなりの人気を獲得したロック・バンド「ニッケル」の元リーダー。ジャケット写真の上腕部の刺青も鮮やかだが、ニッケル解散から2年を経た彼のソロ・アルバムは意外なほどウルグアイのテイストに溢れている。
今回の来亜関連のClarin紙インタビュー記事のタイトルは「アルフレド・シタローサが私の人生を変えた」。ロック、ブルースでひたすらひたすら稼いできたホルヘはシタローサの伴奏をつとめていたギタリスト、トト・メンデスに出会い開眼、今回のアルバムはルーツとしてのウルグアイ音楽とそれまでの自分の音楽を統合した興味深いものになった。シタローサへのオマージュとして彼の作品「去りゆく者に」(Pa'l que se va)、恩師エドゥアルド・メンデスの作品「コモ・アル・デスクイド」、ウルグアイの人気アーティスト、ペペ・ゲーラをゲストに迎え、ルベン・レナの名曲「ア・ドン・ホセ」、ボーナストラックではウルグアイ・ポピュラー音楽の巨人エドゥアルド・マテオの作品2曲を、ルベン・ラダとハイメ・ロスをそれぞれゲストに迎えて取り上げている。他はすべてホルヘ・ナセルの自作。ロック、レゲエ、ボレロなどのポップな感覚に、渋いミロンガの旋律やカンドンベを乗せていく。アルゼンチンでも好評をもって迎えられているようだ。こういうアーティストによって、もっとウルグアイ音楽が知られればいいな、と思う。
ほんの小さな水たまりでも、そこを超えるのはなかなか大変だったりするわけです。
文:西村秀人