2004.06.13
CD: Times Square=World connection(USA) TSQCD 9038 "Tango Varon / Sandra Luna"
1980 年代後半、お正月の東京でタンゴのオルケスタが毎年来日公演を行っていた時期があった。そのシリーズではレオポルド・フェデリコ楽団、セステート・タンゴなどいいものをたくさん聴いたが、何より印象的だったのは1986年、ホセ・コランジェロのオルケスタが初来日した時だった。当時コランジェロのレコードは四重奏のものしかなく、躍動的でダイナミックなスタイルはとても新鮮に響いたものだった(その後もコランジェロは活動を続けているが、もはやメンバーの数も少なくなり、あの時ほどの感銘を受けることはなくなった)。
この86年公演のメンバーには、カチョ・ジアンニーニ(bn)のようなベテランも参加していたが、現在第一線で活躍するダニエル・ブッファ(bn)、アレハンドロ・サラテ(bn)、レオナルド・フェレイラ(vn)といった若手の逸材も参加していた(当時彼らはみな20歳前後)。そこに歌手として参加していたのが当時19歳だったサンドラ・ルナ。大人っぽく見えるようにかなり濃い化粧をしていたのが印象に残っているが、歌声はとても自然で、ショウ全体とのバランスをとてもうまく保っていた。
それから十数年後、私は来日した彼女に仕事でインタビューする機会を得た。その時これだけ長く活動しながらなぜ1枚もアルバムを作っていないのか質問した覚えがあるが、その時の答えは「どうしてもいいものにしたいから時間がかかっている」ということだった。そして2001年、初のソロ・アルバム "Tangos del alma" (FOGON CDFOG 016)を発表、1920-40年代の女性歌手のレパートリーを中心に、伴奏者であるルーチョ・セルビディオの新作も交え、おそらくは彼女の希望通りの充実したアルバムとなった。
そこからさらに3年が経過し、今後は欧米とアルゼンチンでほぼ同時に発売する形で最新作 "Tango Varon"を発表した。現在はヨーロッパを活動拠点にしており、今年はオランダやベルギーを中心にツアーを行っている彼女だが、CDの方はブエノスアイレスで録音し、フランスでミキシングを行った。夫君であるチェロ奏者ダニエル・プッチの編曲で、小さめのオルケスタをバックにじっくり選んだレパートリーを歌っていく。
タイトル曲はコランジェロ楽団に参加したこともあるギター奏者エドガルド・アクーニャ作の力強い下町調の新曲で、オープニングにふさわしい雰囲気を持っている。2曲目は近年の経済破たんで登場したcartoneros(段ボール拾い)をテーマにした「段ボール拾いのカート」 (Carritos cartoneros)で、こちらはカルロス・ブオーノ作曲、カルロス・セレティ作詞、たぶんこのアルバムのための新作だろう。
CD後半に登場する、異色の老歌手セサル・ロッシの詞にコントラバス奏者のオラシオ・カバルコスが作曲したカンドンベ調「私の名はルナ」は彼女のために作られたのか、それとも偶然か?…もちろん昔の作品も含まれており、たっぷり5分かけた「悲しいミロンガ」、名手フリオ・パネのバンドネオン・ソロのみで歌う「チェ・バンドネオン」、ぐっと古風な「クリオージョの決闘」、力強い「絶望の歌」などがあり、シャンソン「群衆」の原曲となったアルゼンチン製のペルー風ワルツ「誰も知らない私の悩み」(Que nadie sepa mi sufrir)はパリで公演することも多い彼女のサービス精神の表れか。彼女の自然で時にクールな表現はエラディア・ブラスケス作「ア・ウン・セメハンテ」、今年来日を伝えられるオスバルド・ベリンジェリのピアノ・ソロ伴奏で歌う「老いたグリンゴ」、初来日時のレパートリーでもあった「そして今は」(Y ahora que hare)など現代の作品によりよく生かされているようにも思える。
初来日から18年、すっかりベテランの語り口になったサンドラだが、あの真ん丸な顔をしていた19歳の時の愛らしい面影もかいまみえる気がする。 アルゼンチン盤はまったく同じジャケット・デザインで RANDOM RR-788、彼女のホームページはhttp://www.sandraluna.net/ で、バイオグラフィー、コラム、欧州でのツアー予定などがのっている。
文:西村秀人