らぷらた音楽雑記帳26*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#026 今も昔もタンゴの魂は場末にあり:バール「エル・チーノ」

2003.11.29

CD:EPSA 0393-02 Musica de la pelicula - Bar "El Chino" -
es hora de retomar los suenos 

Beazley通り3566番地、ポンページャ地区の片隅に「中国人」というあだ名の店主が経営する小さなバーがある。開店してから47年、今の店主は2代目。店主を含め、夜な夜なタンゴを楽しむため、人々が集まってくる。
かつてはブエノスアイレスにもそんな場所はたくさんあっただろうと思うのだが、今ではずいぶん少なくなってしまった。だからこそこの「バール・エル・チーノ」のドキュメンタリー映画が製作されたわけだ。今回のCDはその映画のサウンドトラックとして発売されたもの。とはいっても、映画用に作曲されたのは1 曲だけで、あとはバール・エル・チーノで長年歌ってきた歌手たちの実況録音で構成されている。
登場するのはペルーや米国での暮らしをへてポンページャに戻ってきたクリスティーナ・デ・ロス・アンヘレス、バーの隣に住み、コロン劇場の合唱団にいたこともあるというイネス・"カランドリア"・アルセ、4歳から歌い始め、ユーモアあふれるミロンガを得意とするオラシオ・プッチオ・アコスタ、「酒場のガルデル」と呼ばれるエンリケ・"エル・トト "・アコスタ、「バーの哲学者」と呼ばれ、CDでは珍しくメキシコの曲を歌うワルテル・"ターノ"・バルベリス、そして店主のホルヘ・"エル・チーノ"・ガルセスという6人の歌手たち。伴奏は30年前からこのバーの歌手たちをギター1本で支えてきたアベル・フリアス。
まあまあうまい人もいれば、お世辞にも上手とは言えない歌手もいる。でもみんなその曲が好きでたまらない、という様子がしっかりと伝わってくる。「アジャクーチョ街の小部屋」(El bulin de la Calle Ayacucho)、「ロス・コソス・デ・アル・ラオ」(Los cosos de al lao)、「ブエノスアイレスの歌い手」(El cantor de Buenos Aires)...決して有名曲とはいえないこだわりの選曲。うまく歌うことよりもこだわりを伝えたい、そんな魂の集まりである。
何より印象的なのは冒頭を飾る店主エル・チーノことホルヘ・ガルセスの歌う「わが愛する友達」(Amigos que yo quiero)。 

人生には山ほど「もの」がある。それらは大きく、気高く、美しい。魂を高貴な気持ちにさせ、明るくするし、心を元気にしてくれる。でも繊細だが至高といえる一つの「もの」がある。それは我々のところに静かに穏やかにやってくる。男らしさであり、忠誠心であり、感情であり、やさしさ。それは「友情」。わが愛する友よ、このタンゴを聴いてくれ。その調べの合間にはかたい握手がもたらされる。この曲は友情に想いをはせ、魂で書かれたタンゴ。俺は今はなき友のために涙してこれを歌う。歌いたいと思う友がいる内に、この古いバーで我々の盃を高く掲げようではないか!


渋い曲をたくさん書いたウーゴ・グティエレスの作品で、1950年代にエドムンド・リベーロが歌って有名にした曲だが、まるでこのバーのために書かれたような曲である。
映画を見る機会は得ていないが、この映画の副題は「それは夢を取り戻す時間」という。これは一流にはなれなかったが、バーのスターとなった歌手たちの夢なのか。それとも「友情」という昔のブエノスアイレスの下町の夢を取り戻すことなのか。きっとその両方なのだろう。
日本でこの映画を見る機会ができることを心から願う。もちろんこのバーにはいつか行きたいが、なにしろポンページャの場末。かなり治安が悪いんだよね、この辺。
文:西村秀人