らぷらた音楽雑記帳14*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#014 変なタイトルが生む奇妙な縁

2003.06.11

前回も書いたが、歌のタンゴの主題というのはたいてい失恋の苦悩であって、タイトルも「愛」(amor)、「苦悩」(pena)、「嘆き」(queja, lamento)、「女」(mujer)、「裏切り」(traicion)、「血」(sangre)などの単語が使われることも多い。またタンゴの歌詞の舞台はたいがい誕生の地ブエノスアイレスだから「ブエノスアイレス」「ボカ」「コリエンテス通り」「フロリダ通り」「場末」「港」「カフェ」など背景がタイトルに折り込まれることも多い。
歌詞のある曲はそのストーリーを象徴する言葉がタイトルになるわけだが、一方器楽曲になるとかなり自由にタイトルをつけることが可能になる。特にいわゆる「グアルディア・ビエハ」(古典タンゴ=おおまかに1915年以前作曲のタンゴを指す)の時代は著作権などなく、もっぱら作曲したタンゴを人に捧げてチップをもらっていたので「エル・エントレリアーノ=エントレリス州の男」「ビクトリア・ホテル」「ラウソン(人名)」「エル・カチャファス(ダンサーのあだ名)」など出演場所や仲間・世話になった人などとゆかりのあるタイトルも多いし、「夜明け」「花火」「機関車」など描写曲なんてのもある。「空から落ちてきた男」(Caido del cielo)、「月の顔」(La cara de la luna)、「黄金の紐」(Cordon de oro)など事情を知らないと何のことやらさっぱりわからないタイトルも少なくない。
もっと後の時代でも変わったタイトルをつけたケースはある。現代の巨人オラシオ・サルガンの作品 "Del 1 al 5"(1から5まで)は、実は「給料の支払いが毎月1日から5 日まで」という意味で、本人ではなくマネージャーがつけたのだという。
私自身、変なタイトルの曲のおかげで不思議な経験をしたことがある。2年ほど前のことだったろうか、アルゼンチンのタンゴ・ファンのWEBサイトの掲示板に「鍵盤の上の猫のように」(Como gato en el teclado)という曲を探しているが誰か知らないか?というメッセージがあった。たまたまこの少し前に入手したガブリエル・クラウシ楽団の4曲入り17センチ盤にこの曲があったことを覚えていた私は返事を書いてみた。
実はメッセージを依頼してきたのはこの曲の作者であるアレハンドロ・H.デ・ロッシという人物の親戚の方で、生前本人から自分の作品が録音されていることを聞いたのを思い出し、見つからないのでコロンビア国のタンゴ・コレクターに頼んでメッセージを出してもらっていたのだった。早速私はCD-Rでコピーを作り、コロンビアへ送った。その後コロンビアからアルゼンチンへとその録音は渡り、大変喜んでいたと連絡があった。
それから3ケ月ほどして、どういうわけかまた似たようなメッセージが同じ掲示板に登場した。私はたまたまそれを見逃していたが、ご丁寧にも3ケ月前にも同じメッセージが出ていて、こういう名前の日本人が持っていると書いていたぞ、とアルゼンチンのタンゴ・ファンがわざわざ新たなメッセージの主に伝え、私のもとに連絡が来た。結局私はまた同じCD-Rをアルゼンチンに送ることになるのだが、その人は3ケ月前に別の親戚が同じものを探していたことは知らず、お互いかなり遠縁らしく、単なる偶然なのだという話だった。 

この作者アレハンドロ・H.デ・ロッシはプロの演奏家でも作曲家でもなく、趣味で音楽をやっていただけで、親友のバンドネオン奏者クラウシが記念に彼のこの作品を録音してあげたのだそうだ。後にも先にも彼の作品が録音されたのはこの1回だけだったらしい。

親族にとってはかけがえのない財産に違いない。(なおクラウシは90歳を超えた現在も時折ソロで演奏し、CD録音も行っており、現役最古参のバンドネオン奏者となっている。) しかしそれにしても、もし「鍵盤の上の猫のように」なんて変な題名でなかったら、私はきっと気づかなかったにちがいない。時には変なタイトルをつけておくのもいいかもしれない。
文:西村秀人