らぷらた音楽雑記帳13*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#013 社会派タンゴの異色作?40年前の「怒り」とは?

2003.04.30

アルゼンチン・タンゴの歌詞はたいがい「女にふられた男が未練たっぷりにかっこつけながら悲しみを歌う」というものが多く、「あの頃は良かった」「ブエノスアイレスへの愛情」などもよくあるテーマだが、中には社会性を帯びたメッセージを持ったものもある。 社会批判的なタンゴというと、エンリケ・サントス・ディセポロの「古道具屋」(Cambalache)がよく知られているが、最もストレートに社会への怒りをあらわにした作品として知られるのが、その名もズバリ「怒り」(Bronca)というタイトルのタンゴである。
マリオ・バティステーラの作詞、歌手エドムンド・リベーロの作曲によるもので1961年に発表された。バティステーラはヨーロッパで活躍したメルフィ作曲の甘美なタンゴ「追憶」(Remembranza) 、ガルデル=レ・ペラの名コンビと共作した「場末のメロディ」(Melodia de arrabal)など1930年代の作品で知られているが、その活動期間は長く、タンゴ史上初めて社会批判を含んだといわれる作品「聖なる十字架のもとで」(Al pie de Santa Cruz)の作者でもあり、作風の面でも多才であった。
1961年といえば、ペロン政権崩壊後、軍政権とペロニスタの対立から政局が不安定化する中、民族主義によってペロニスタからも支持を得て大統領となった急進党のフロンディッシ政権の時代。フロンディッシはこの年「タンゴ王」フランシスコ・カナロ楽団と共に来日、日本を初めて訪れたアルゼンチンの大統領ともなったが、翌年軍の圧力によって権力の座を追われてしまう。タンゴ「怒り」(Bronca)はそんな時代の混乱に対する感情の爆発である。

<歌詞要約>
自分の良心にしたがえば、一文無しに成り下がる/金もなく、安ベッドで、「のろま」の汚名を着せられて/犯罪者が勝利する/これが「現代」というものか/慎み深くしようとする者は、もはやコロンブス時代の人間なのか/女性に対するマナーもなくなり、警察も法律も権威もあったもんじゃない! この国はどうなってしまったんだ!/我が神よ、どうしたのだ!/俺たちがこんなに下の方に来ちまうなんて/こんな混乱の中じゃ兄弟どうしでもわかりあえない

この曲は1961年9月、当時共産党の幹部として政治運動にも力を入れていたオスバルド・プグリエーセの楽団が専属歌手アルフレド・ベルーシのドスの効いた歌で録音。同じ頃作曲者である歌手エドムンド・リベーロもマリオ・デマルコの楽団伴奏で録音した。しかしプグリエーセ楽団のレコードは63年7月まで発売されず、リベーロ盤も4曲入り17センチ盤で一度発売されたきり、いかなる形でも再発売されていない。他のアーティストが取り上げることもほとんどなかった。政治的な圧力、とはいかないまでもこの曲の発売には支障があったような雰囲気である(プグリエーセ盤とリベーロ盤、共にレコード会社はフィリップス)。最近筆者はようやくリベーロのオリジナル盤を入手することができた。(下の写真はそのジャケット)。一語一語をかみしめ、さとすように歌うリベーロの迫力は格別である。
この曲、メキシコのベテラン社会派シンガーソングライター(?)オスカル・チャベスの98年の異色アルバム「禁じられたタンゴ」(Los tangos prohibidos)(メキシコPENTAGRAMA LPCD-346)の冒頭に収められている。チャベスはかなりリベーロ節をよく勉強していて頑張っている。このCDには上記「古道具屋」「聖なる十字架のもとに」も収録されており、社会性を持ったアルゼンチン・タンゴの異色作品ばかりを集めた好企画盤だ。 ところで、まもなく船出のキルチネル新政権。果たして民衆の「怒り」をかうことなく、経済危機に瀕するアルゼンチンの救世主となりうるだろうか?
文:西村秀人