らぷらた音楽雑記帳12*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#012 絵画と音楽の世界に住むフアニート・ラグーナ

2003.05.14

先日都内で「アルゼンチン絵画の歴史と現在」という講演会が行われ、あらためてその層の厚さを知ることが出来た。と同時に、その人材の豊富さと作品のレベルに反して、日本で広く知られた画家が少ないことを残念にも思った。結局のところ、日本である程度知られているのは、音楽と深く関わりがあったために、音楽ファンにその名を知られるようになったベニート・キンケラ・マルティン(1890-1977)とアントニオ・ベルニ(1905-1981)あたりかもしれない。今回は後者ベルニが1960年代にその作品に描き、やがて音楽にも取り上げられたフアニート・ラグーナ (Juanito Laguna)について記そう。

ベルニは1950年代、サンティアゴ・デル・エステーロ州の村々を旅して歩き、そこで貧しく暮らす多くの少年たちと出会う。1961年ベルニはその少年たちの象徴的存在「フアニート・ラグーナ」(以下JL)を主人公とした最初の絵を描く。以後1978年までに約20点のJLの絵が発表されていく。「JLのカーニバル」「JLのクリスマス」「JLの肖像」「ごみ溜めで眠るJL」「JLはフルートを吹く」「JLの街の洪水」「バイクに乗るJL」「JLは工場に行く」など、ごみ捨て場で暮す貧しいフアニートの日常がさまざまなテーマで描かれている。愛らしさ、楽しげな雰囲気は伝わってくるものの、絵のトーンは決して明るいものではなく、アルゼンチンの繁栄に隠れた貧困を訴えかける社会的な作品群でもある。また本物のゴミやさまざまな道具を絵に貼りつけるコラージュの手法を取っている点もユニークである。

ベルニの描いたJLの世界は、政治不安の中で動揺するアルゼンチン社会に大いなる感動と共感を持って受け入れられ、やがてフアニートは音楽のテーマとして登場するようになる。全部で何曲あるのかはよくわからないが、JLをテーマにした作品だけを集めた社会派フォルクローレ歌手セサル・イセラのアルバム "Juanito Laguna"(亜PHILIPS 27420, 1987年)には9曲が収められている。面白いことにベルニの絵のタイトルと完全に合致しているのはグスタボ・"クチ"・レギサモン=マヌエル・J.カスティージャの共作「JLのクリスマス」(メルセデス・ソーサのバージョンも有名)だけで、あとはベルニの絵から生じたイメージから新たに創造された物語、つまりフアニートは作者ベルニの手を離れてひとり歩きし始めたのである。
他にもエドゥアルド・ファルー作曲=ハイメ・ダバロス作詞という名コンビによるリトラル調「フアニートは洪水から救われた」(Juanito se salva de la inundacion)、大ヒット「ロコへのバラード」でも知られる現代タンゴの名コンビ、アストル・ピアソラ作曲=オラシオ・フェレール作詞による「JLは母の手伝い」(Juanito Laguna ayuda a su madre)、現代フォルクローレの重鎮アムレット・リマ・キンターナ作詞=コセンティーノ 作曲による「JLの凧揚げ」(Juanito Laguna remonta un berrilete)などがあり、これらの作品は多くのアーティストによって取り上げられ、録音された。歌詞内容を紹介するスペースはもうないが、いずれも貧しくても懸命に生きる「フアニート」への共感と愛にあふれた作品となっている。

(下の写真はアルゼンチンで出されているベルニの作品集で8点の「フアニート」が収められている。Fermin Fevre "Berni" Bifronte=Editorial El Ateneo, 2001, Buenos Aires)

文:西村秀人