らぷらた音楽雑記帳11*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#011 初の国産映画「タンゴ!」と初期のアルゼンチン音楽映画

2003.04.30

つい先日、4月27日にアルゼンチンで大統領選挙が行われ、いずれの候補も40%以上の得票率を獲得出来なかったので、上位2名=メネムとキルチネルによる決選投票が5月に行われることになった。経済破綻後最初の大統領選挙であり、世界的にも注目が集まっている。 その一方、選挙の話題に隠れた小さな記事が目についた。それは「映画『タンゴ!』が封切られてから70周年」というものだった。
映画"Tango!"は1933年ルイス・モグリア・バルトの監督・脚本によって制作されたアルゼンチン初の国産映画だった。ブエノスアイレスとパリを舞台にした恋愛ものだが、主眼は明らかにタンゴ・スターの顔見せ。男装の麗人アスセナ・マイサニ、先日大往生したティタ・メレーロ、「カミニート」の作者フアン・デ・ディオス・フィリベルト、近代的なバンドネオン奏法の基礎を築いたペドロ・マフィア、「タンゴの貴婦人」メルセデス・シモーネ、第一次タンゴ黄金期からの大物オスバルド・フレセド、人気が出始めたばかりのリベルタ・ラマルケなど豪華出演者が次々に登場し名曲を歌い、演奏していく。国産第1作として最高の映画を作ろうとした意気込みがよくわかるし、当時外国音楽に押されて低迷を続けていたタンゴへのエールでもあったのだろう。日本ではかつて中南米音楽社からかなり前にビデオ化されたことがあるが、現在はまったくビデオ/DVD化されていないようだ。

ところで上記出演者の中に1人重要な名前が抜けていることにお気づきだろうか? 「タンゴの神様」カルロス・ガルデルがいないのである。ガルデルは 1932年から「ブエノスアイレスの灯」「エスペラメ」など海外制作のアルゼンチン向け映画に出演していた。当時すでにガルデルは海外を活動拠点とすることを考えていたと言われており(最後は北米への移住を決心していたという)、国内での映画制作の話には乗らなかったのだろう。「タンゴ!」の翌年にはアルゼンチンを離れ、北米で「下り坂」(Cuesta abajo)、「ブロードウェイのタンゴ」(El tango en Broadway)、「想いのとどく日」(El dia que me quieras)、「タンゴ・バー」(Tango Bar)という4本の映画に主演(他にオムニバス形式の「1935年の大放送」にも登場)、そして1935年中南米各国で公演を行いながらアルゼンチンに戻る途中、飛行機事故で不慮の死を遂げた。

もしアルゼンチンの映画産業がもっと早く発展していたら、ガルデルの運命は別のものになっていたかもしれない。
さて、そのガルデルが北米で制作した上記4本の映画が4枚組DVDとして先頃アルゼンチンで発売された。DVDの強みを生かし英語・ポルトガル語の字幕をつけることが可能になり、画質そのものもやはり従来のアメリカやアルゼンチンで出ていたビデオよりすぐれている。ガルデルが1930年に収録した「ジーラ・ジーラ」など楽曲ごとの短編フィルム(今で言えばビデオ・クリップ)はすでにドキュメンタリーに含まれる形でDVD化されており、今回の北米映画4本の登場でガルデルの重要な映像はみなDVD化されたことになる。
次は「タンゴ!」のDVD化の番だと思うのだが、どうだろう。
文:西村秀人