2003.02.12
アルゼンチン・タンゴというと悲哀に満ちたものが多いのだが、1920年代末から1930年代前半にかけて隣国ウルグアイ製の明るい下町調のタンゴが流行したことがあった。その中に "Garufa" (ガルーファ)という曲がある。
Del barrio La Mondiola, sos el mas rana, te llaman "Garufa" por lo bacan=モンディオラの街ならあんたが一番冴えている/遊び方が派手だからそのあだ名は「ガルーファ」(お祭り騒ぎ)
と始まる軽快な曲だが、1番の終わりに気になる歌詞が登場する。
Tu vieja dice que sos un bandido porque supo que te vieron la otra noche en el parque japones...(おまえの母さんがあんたを詐欺師だと言ってた/だってこの前あんたが日本公園にいたことを知ったから...)
この「日本公園」(Parque japones)はTANNY さんがかつて勤めておられたJardin japonesとは全くの別物。1910年代から親しまれた一種の遊園地である。1961年に閉園したので子供時代遊びに行ったというお年寄りも現地にはまだたくさんいる。
残っている写真を見ると園内の池には宮島のような鳥居にお茶室・寺のような建物、富士山とおぼしき張りぼて山を通り抜けるのは原始的なジェット・コースター(スペイン語で「ロシアの山」Montana rusaという)。
現地の人に聞くと日本人・日系人は経営に関わっていなかったそうだが、ヨーロッパで東洋趣味が流行した流れを汲んだということか。ここでは結婚パーティやダンス・パーティもよく開かれていたようで、歌詞に登場したニュアンスも「週末日本公園のダンス・パーティーで遊びほうけていた」という感じなのだろう。
実は原作ではこの部分は「(モンテビデオの)サン・ホセ通り」となっていたらしいのだが、それだとブエノスアイレスの人にはわからないので、誰かが歌う時に「日本公園」に変えたらしい。そのためこの部分はよく変えて歌われることが多い。
15年前私はen el Hotel Sheratonにした替歌を聞いた覚えがある。それがなぜだったのか、今回の旅でやっと判明した。かつて日本公園があった場所は現在のレティーロ、ちょうどシェラトン・ホテルがある場所だったのである。
文:西村秀人