らぷらた音楽雑記帳08*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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らぷらた音楽雑記帳

#008 「メンドーサのライオン」パスクアル・ペレスの栄光

2003.04.02

今から約50年前、アルゼンチンのあるスポーツ選手が日本で一躍注目を浴びた。アルゼンチンのスポーツといえばサッカーを連想しがちだが、この時日本中の視線を集めたのはボクシングの選手であった。
1954年11月21日、後楽園で世界フライ級チャンピオン白井義男対アルゼンチンの挑戦者パスクアル・ペレス(当時の表記はパスカル)の試合が行われた。結果は15ラウンド終了後ペレスの判定勝ち、日本人初の世界チャンピオン5度目の防衛戦は失敗に終わり、その代わりにアルゼンチン初の世界チャンピオンが誕生した。すでにテレビ中継も始まっており、その視聴率は相当なものだったはずだ。
この1954年という年はアルゼンチンから初めてタンゴ楽団=フアン・カナロのオルケスタ・ティピカが来日し公演を行った年でもあり、日本を代表するタンゴ歌手藤沢嵐子が前年に引き続きアルゼンチンを訪れ、好評を博した年でもある。日本にとってアルゼンチンという国が身近になり始めた年ともいえるだろう。
一方アルゼンチンで1954年といえば、ペロン政権崩壊の前年にあたる。その2年前に愛妻エビータことエバ・ペロンは病死、経済面での破綻が表面化していく中、ペロンは苦境に立たされていたはずだ。そこでアルゼンチン初のボクシング世界チャンピオン誕生という明るいニュースをペロンが利用しないはずがない。ペロンはこのメンドーサ出身の小柄なペレスの帰国に際して大パレードを行い、車をプレゼントし、賞金を与え、栄誉を称えた。
ペロンと親交があり、「ペロン党青年行進曲」(Los muchachos peronistas)を録音したこともある人気タンゴ歌手エクトル・マウレは54年12月3日にパスクアル・ペレスに捧げられたタンゴ「偉大なチャンピオンに捧ぐ」(Al gran campeon)を録音・発売した。試合のわずか12日後に録音という驚異的な早さは、あらかじめペロンが用意させていたのではないか?という疑念もわく(作詞はマウレ自身とラファエル・ラウリア、作曲は伴奏ギタリストの一人だったセルヒオ・ガスパリーニ)。

歌詞のおおまかな内容は

「パスクアリート・ペレス、偉大なる世界チャンピオン/今日、祖国はおまえの偉業を称える/素晴らしい黄金の若者、偉大なる心の持ち主/パスクアリート、クリオージョのいかすやつ/おまえは我らの最初のチャンピオン/今日、アルゼンチン人の心は感動に満たされている」

というものだった。
残念ながら現在のところCDには復刻されていない。

その後ペレスは翌年5月東京で行われたリターン・マッチでも白井を破る。直後にペロンが失脚、後ろ盾を失うが、その後も防衛を重ね1960年までチャンピオン・ベルトを保持した(59年には東京で2度試合を行い勝利しているが、これは親ペロン派だったペレスがアルゼンチンにいづらかったためである)。どさ回りを重ねながら酒量を増やし64年に引退、77年に50歳の若さで世を去った。思いの他その栄光は短かったのである。
偶然にも、後楽園での白井対ペレスの試合を私の父は祖父と一緒に会場で見ていたという。わが家は私以外ラテンアメリカと関わりのある者は一人もいないのだが、不思議なつながりがあるものだ。

参考資料:佐伯泰英「狂気に生き 第1部 パスカル・ペレスへの旅」(新潮社、1986)(日本のボクシングに関するドキュメンタリ?。第2部にペレスは登場しない)

文:西村秀人