伝説のマエストロ6:エミリオ・バルカルセ*西村秀人・南米音楽サイト『カフェ・デ・パンチート』

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Mis Maestros en el recuerdo 
想い出のマエストロたち

por HIDETO NISHIMURA

<6> エミリオ・バルカルセ(バイオリン、バンドネオン、編曲)

Emilio Balcarce

EBalcarce CD Escuela 066.jpgこの人は典型的な職人タイプのミュージシャンだと思う。歌手の伴奏楽団の編曲・指揮者として1940年代に頭角を現すが、1949年にバイオリン奏者としてオスバルド・プグリエーセ楽団に入り、1968年からセステート・タンゴで活動した。プグリエーセ楽団に長年在籍する人は多いが、バルカルセのようにプグリエーセ以外のスタイルにも通じている人は少ない(歌手伴奏時代に得たものが大きかったのだろう)。代表作「ラ・ボルドーナ」を初め、「枯葉が散る頃」「ビエン・コンパドレ」など作曲家としても屈指の存在である。セステート・タンゴを辞したあと、バイオリンからバンドネオンに転じて人々を驚かせたが、もともとバンドネオンが弾きたかったらしい(実際バルカルセのバイオリンは味はあるが、すごくうまいとは言いがたい)。
初めて会ったのはセステート・タンゴが初来日してホテルで演奏した時だったが、ルジェーロ、ラバジェン、ロッシの個性的で芸術家らしい雰囲気に比べて、バイオリンの2人(バルカルセとオスカル・エレーロ)は何十年も勤め上げてきたサラリーマンのような雰囲気だったことをよく憶えている(ちなみに真面目すぎるフリアン・プラサは終演後さっさとホテルの部屋に帰って編曲を手直ししていたのでホテルのロビーにはいなかった)。
 自己のクアルテートでの活動を少しした後、実質的な引退生活に入っていたバルカルセを呼び戻したのは「タンゴ学校オーケストラ」のプロジェクトだった。楽団結成時からの知り合いであるエル・アランケのメンバー、ラミロ・ガージョ(バイオリン)やイグナシオ・バルチャウスキー(コントラバス)は1940~50年代のタンゴに非常に興味を持っていて、私もいろいろ音源を提供したりしていたが、彼らが実際に当時を知るマエストロたちから教えを請う、しかもそれを国の文化活動の一環として行おうということで「タンゴ学校オーケストラ」のプロジェクトが発足したのだった(この経緯はドキュメンタリー映画「シ・ソス・ブルーホ」として映画化されている。日本未公開だが、アルゼンチン盤DVDがある)。そこで多くのマエストロの推薦もあって白羽の矢が立ったのがバルカルセだった。このオーケストラについては短いインタビューをしたことがあるが、メンバーが望んでいるものや公共性が高いことをしっかり認識していることがわかったし、その一方で昔のミュージシャン独特ののんきな感じを持っていたし、すべての楽器のことがちゃんとわかっている素晴らしい人材だと思う。残念ながら耳が遠くなり、現在はふたたび引退したが、タンゴ学校オーケストラは今でも「オルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴ・エミリオ・バルカルセ」と彼の名を冠している。日本人はもちろん、ヨーロッパやアジアの留学生も多数受け入れており、このタンゴ学校オーケストラの存在意義は現在のタンゴ界でとても大きなものになっているといえる。